海千山千會 - うみせんやませんかい

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Eye Wear “Existence” from Echizen越前
眼鏡 見在(げんざい)
unhalfdrawing

「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目を持つことだ。」
マルセル・プルーストのその言葉のように、手強い山と対峙する強烈な山行を経験すると、目の
前の景色がしばらく大きく変わって見える。
頰の感覚がなくなる強風、いつまでも見えない頂上。冷たい激流の流れ、寄せつけない花崗岩の
硬さ。焦り、恐怖、安堵、そして開放感。様々な感情が濁流のごとく押し寄せる。ふと、遠くを
見つめた先はいつもと違う色彩の景色が広がっていた。
このアイウエアは眼鏡として、サングラスとして使用出来るように作られているが、命名された
見在(げんざい)とは今、目の前に存在している景色そのもののことを意味している。だが、その
レンズを通して同じ景色が、どのような色で見えるかは装着した人それぞれによって全く異なる。
蜘蛛の目がアイデアの分岐点だったという、広い視野で見ることに適したこのゴーグルのような
フレームは、海千山千會の同人立沢と鯖江の眼鏡デザイナーMganerockの雨田氏という強烈な
二つの個性から作られた。二人はアドビ・イラストレーターのベジェ曲線を修正上書き保存する
という、データファイル上の文通を繰り返した末に、このユニークな曲線の眼鏡を誕生させた。
BonzaipaintからTRANSIENT EXISTENCEを経て、UNHALFDRAWINGへ。
そのスタートを飾るのは、新しい目を持つための道具でなければならなかった。と立沢は言う。
「日々旅にして、旅を栖とする」海千山千會の新プロジェクトであるUNHALFDRAWINGを
是非体感して欲しい。
海千山千會 千代田高史

左。上。右。下。上。左。えーと、下かな。分かりません。分かりません。では次は左眼です。
『見』という漢字は、会意文字で目と人の象形から成立した。大きな目の人が見るの元だそう。
さてひと口に『みる』と言っても様々な意味がある。大辞林のアプリでは約千五百字を使って、
その多彩な意味を紹介している。ランドルト環の切れ目が左右上下どこに見えるかというのは、
一①視覚によって、物の形・色・様子などを知覚するという基本的な見るの意味になる。ほかに
一⑤存在を確認する。認める。ある。この意味も私たちはよく使う。「まれにみる秀才」など。
一⑥物事の状態などを調べる。「味をみる」「湯かげんをみる」味覚や触覚に「みる」を使う。
一⑦㋐判断する。「世間を甘くみる」㋑診断する。「患者をみる」㋒うらなう。「手相をみる」
一⑩経験する。「馬鹿をみる」「痛い目をみる」馬鹿を体験した、ではどうにも実感がわかない。
「まれにみる秀才が世間を甘くみて痛い目をみた」このような文章は、あゝあるある。と誰もが
思い気にも留めないが「みる」という動詞の実用性の高さ、そして何よりも通りの良さがある。
二①動詞の連用形に助詞「て(で)」を添えた形に付いて用いられる。㋐(意志動詞に付いて)
ある動作を試みにする意。「旅行にでも行ってみたくなった」「男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとてするなり/土左日記」男がする(書く)という日記というものを、女(私)も
してみようと思ってする(書く)のである。
「みる」の表記「見る」は、物の形や色を目で感じる、判断するの意味で「窓の外を見る」「湯
加減を見る」「世間を甘く見る」。「観る」は見物する。眺める。芝居などを鑑賞するの意味で
「桜を観に行く」「芝居を観る」。「診る」は診察するの意味で「医者に診てもらう」「患者の
脈を診る」。「看る」は世話をするの意味で「病気の親を看る」「病人を看る」。
漢字にするとそれぞれの意味合いの違いが明確になるが、発声は「みる」である。「患者さんを
みてきて」と言われると「みる」→「診る」のように私たちの脳は解答を引き出してくれるが、
「みる」という行為自体が、文字や意味、概念なんかより人類にとって非常に重要な点を再確認
しなくてはならない。
「いないないバァー」赤児にとって、その多くの場合母が「みる」最初の対象であり、その後に
起こり続ける「みる」ことの発展こそが、人そのものの独自性に繋がると思える。しかし同時に
世の中には目で「みる」ことが出来ない多くの人々がいることを忘れてはいけない。
海千山千會 立沢木守

打係縷亜那都米(ターヘル・アナトミイ)とは解剖学書である。獨逸人医師クルムスの著作で、
一七二二年に出版された。長崎から入ってきたこの本は、苦心惨憺の末翻訳され『解體新書』と
なる。時は安永三年(一七七四年)亜米利加國独立の前夜、欧州ではゲーテの『若きウェルテル
の悩み』が大流りした。だがしかし近松はその七十年も前に『曽根崎心中』を書いているのだ。
江戸三大刑場の一つ千住は小塚原刑場※で、刑死者の腑分を見た杉田玄白、前野良沢、中川淳庵
らが四年の歳月を費やし完成させたのが『解體新書』なのである。機会があれば前田青邨の腑分
の畫における本当に真剣な人の表情をぜひご覧あれ。
さて蘭学と云ってもこちらは仏蘭西である。某自動車会社※に勤めていたピエール・ベジェはコン
ピューター上で滑らかな曲線を描く法を考案。これはベジェ曲線として知られるようになる。
米アドビシステム社はポストスクリプトと云うページ記述言語を開発し、一九八五年にフォント、
自由曲線を描画し、拡大縮小に影響されないベクターデータ形式のドローソフトを販売。これが
世に言うイラレ※である。イラレとベジェと云うのが、ペンと雲形に取って替わったのだ。
眼鏡師雨田大輔と好事家立沢木守が、引いては寄せ寄せては返す波のごとく、イラレのデータを
交換し合ってデザインしたのがこのベジェ7『見在』と銘した眼鏡である。してこれこのように
ベジェ曲線を司る秘宝アンカーポイントとハンドルを丸見えに解剖してみた。イヤーん、エッチ
と言われても、曲線好きは辞められまへんな。
UNHALFDRAWING 立沢トオル


※ 腑分の他「おためし場」と称し刀剣の試験もしていた。徳川吉宗の日本刀保護政策。
※ルノー
※Adobe illustrator®︎ ウィキペディアでは1988年の初代illustrator88(1.6)の次は1990年の3.0と
なっているが、その間に1.95なるバージョンがあり立沢はそこからキャリアを積む。